『「本能寺の変」の翌年 天正11(1583)年、信長の跡目をめぐって羽柴(豊臣)秀吉と柴田勝家が戦った
「賎ケ岳の戦い」で勇猛果敢な働きによって秀吉に天下人へ道を開くきっかけを開いた七人の若武者、
加藤清正・福島正則・片桐且元・加藤嘉明・脇坂安治・平野長泰・糟谷武則を称えて「賎ケ岳の七本槍」と呼ぶ(公式サイトより引用)』
「賎ケ岳の戦い」で勇猛果敢な働きによって秀吉に天下人へ道を開くきっかけを開いた七人の若武者、
加藤清正・福島正則・片桐且元・加藤嘉明・脇坂安治・平野長泰・糟谷武則を称えて「賎ケ岳の七本槍」と呼ぶ(公式サイトより引用)』
そんな秀吉公自慢の武将達の通り名を取ったのが、滋賀県で450年以上続く名酒七本槍。調べるとこんなエピソードも……
『大正2、3年頃。まだ福田大観と名乗っていた若き北大路魯山人は、長浜の紙文具商 河路豊吉にその才能を見込まれ長浜をはじめ湖北地域に逗留していました。その際、当蔵12代八郎とも交流があり、「七本鎗」「酒猶兵」の作品を残しております。
自然に恵まれた近江での河路との出会いがきっかけとなり、長浜・京都・福井・金沢・山代でその天分を開花させていきます。作風に最も勢いがあり、ハングリー精神があった頃の魯山人の作品の下で、酒造りを出来ることを嬉しく思い、その気迫には刺激も受けます(公式サイトより引用)』
自然に恵まれた近江での河路との出会いがきっかけとなり、長浜・京都・福井・金沢・山代でその天分を開花させていきます。作風に最も勢いがあり、ハングリー精神があった頃の魯山人の作品の下で、酒造りを出来ることを嬉しく思い、その気迫には刺激も受けます(公式サイトより引用)』
かの魯山人も愛した酒と聞くと、何とも飲みたくなるからミーハーな自分に困り者です。さて、今回はなぜこのブログで日本酒を紹介するのか?
それは……なんとっ!ウイスキーの熟成にも使われ、近年人気のシェリー樽で三年ほど日本酒を熟成させたモノを発見したからです。
その名も『七本槍シェリー樽』はい。まんまで、とても分かりやすい名前です。
という訳で、たまに行くお店で特別に試飲させて貰ったのですが……これが中々面白いのです。
グラスからは確かに樽香がするのですが、ベースは日本酒。日本酒の独特の香りがどちらかと言えば強く感じました。
味は最初に米の甘味、旨味があるのですが、樽から出たであろう苦味やえぐみのようなものが口に残り、鼻を木香が抜けたかと思うと、口に残るのは日本酒の後味。
旨い、不味いと言うより面白い味……と言った方が合う酒かと思います。
日本酒を作る蔵元さん達も、様々な試みしている方々がおり、赤ワイン樽で熟成させる方もいれば、数年前に新品(おそらく)オーク樽で8年程熟成させた天使の気まぐれと言う酒を貰ったこともあります。
日本酒の味も千差万別で、重さや米の嫌な匂い、旨味の強いものから、白ワインのような酸味を持つもの、米の甘さを引き出したもの、酵母の作用で梨や林檎のようなフルーティーな香りのするものまで……。
つい最近は正雪と言う、比喩ではなく(リアルに!)バナナの香りがする日本酒を飲みました。
七本槍はどちらかと言うと、香り高さより味わい深さがあるお酒。
シェリー樽ならフルーティー香りの日本酒の方が、もっと美味しかったのでは?と思ったりもします。
逆にバーボン樽や、もしくはアイラ島の売ってくれそうな蒸留所から樽を買って来て、貯蔵したら面白いかと素人は思いを馳せてみます。
日本酒も海外で認知されているとの話を聞きますし、これからどんなアイディアを元に面白い酒や、旨い酒が生まれるのを楽しみにしたいと思います。
もしかしたら、ウイスキー蒸留所と日本の蔵元が、合作で何かする事もあるかも……しれないですね(*´ω`*)
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